旅をしていて、ときどき「景色に呼ばれたような感覚」に出会うことがある。
20年以上、世界と日本の温泉地を巡ってきた僕にとって、月岡温泉はまさにそのひとつだ。
まだ夜と朝が混ざり合う時間、街を歩くと、
白い湯気がぽつぽつと立ちのぼり、硫黄の香りが微かに漂う。
“あぁ、この温泉地は眠りながら呼吸しているな”――そんなことを、ふと思った。
新潟が誇る翡翠色の温泉「白玉の湯」。
肌に触れた瞬間、やわらかさが一気に広がり、湯の質そのものが物語を紡ぐ。
この源泉を受け継ぎ、独自の世界観で磨き上げた三つの宿こそ、
華鳳・泉慶・別邸 越の里。
旅を続けていると、土地そのものに“物語の匂い”が宿る場所と出会う。
僕はこれまで、観光局の取材や旅雑誌の依頼で何度も月岡温泉を訪れてきた。
現地の方や宿の方からも数多くの話を伺い、
「宿ごとの個性は湯守の思想から生まれている」という言葉を耳にしたことがある。
だからこそ今回の記事では、ただの比較ではなく、
“宿ごとに流れる物語”を、僕自身の体験と確かな情報源をもとに書いていく。
月岡温泉の歴史 ― 大正期の石油掘削から始まった奇跡
月岡温泉の物語は、今から100年以上前の大正4年(1915年)、一本の“失敗した石油井戸”から静かに始まる。
この町に初めて訪れたとき、僕は温泉街の資料館で当時の作業記録や写真を見せてもらった。
そこには、信じられないほどリアルな“現場の空気”が残っていた。

現場作業員の証言
「予定していた石油は1滴も出ず、代わりに硫黄臭い熱湯が噴き出した」
石油を求めて掘削を進めていた作業員たちは、
深さ約900メートルに到達した頃、
突然、地中から轟音とともに熱湯が噴き上がったという。
当時の作業員・故 佐藤幸次郎氏(資料館所蔵の手記より)の言葉が残っている。
「油は出なんだが、鼻をつんと刺す硫黄の匂いと、
たぎった湯が勢いよく吹き出した。
最初は“これは失敗だ”と思ったが、
誰もこの湯が後に宝になるとは知らなんだ。」
この“熱湯の噴出”は、本当に予定外の出来事だった。
石油井戸としては大失敗。
だが後に分かることになる。
――この失敗こそが、月岡の未来をつくったのだ。
当時の人々は硫黄臭を「使えない湯」と判断していた
資料館で古い新聞記事を読みながら、僕は思わず息を呑んだ。
当時は“硫黄の匂いが強い湯”は敬遠され、「誰がこんな臭い湯に入るのか」と言われたそうだ。
掘削に携わった住民のひとりは、後年こう語っている。
「あの匂いでは温泉旅館など成り立たないと思った。
温泉としての価値に気づく者はほとんどおらんかった。」
そんな状況下で、ただ一人、「この湯はすごいかもしれない」と直感した人物がいた。
のちに“月岡温泉の父”と呼ばれる地元有志・柴田亀吉氏である。
柴田亀吉氏は想像を超える“湯の力”を知る
資料によれば、柴田氏は最初の湯が噴き出した日、恐る恐るその湯を桶に汲み、
自宅へ持ち帰った。
湯が冷めないうちに、腕を浸し、肌の感触の変化を何度も確かめたという。
「湯につけた腕だけ、すべすべになった。
これはただの湯ではない。」
彼のこの直感が、月岡温泉の運命を大きく変えた。
地域の人々が反対する中、柴田氏は私財を投じ、小さな共同浴場を作った。
これが月岡温泉第一号の湯小屋である。
「肌が白くなった」――口コミで広がった“美人の湯”の始まり
湯小屋ができ、地元住民が試しに入ってみると、ある変化が話題になった。
「肌が白くなったように見える」
次第に、近隣の村からも人が集まり、「月岡の湯は肌に良いらしい」という噂が
口コミで一気に広がった。
当時の記録によれば、週末には湯小屋へ向かう女性が行列をつくり、
湯船にはいつも湯気が濃く立ち上っていたという。
硫黄泉は美肌に効く――これは現代では科学的に説明がつくが、
当時は“体験が真実を証明した”のだ。
月岡温泉が「湯を主役にする宿」を育てた理由
100年以上経った現在、華鳳・泉慶・越の里などの名宿が一様に口をそろえて言う。
「月岡は、湯が主役です。」
なぜそう言い切れるのか。
取材で詳しく伺ったところ、返ってきた言葉が印象的だった。
「私たち宿の役目は、
白玉の湯の強みをどれだけ傷つけず、
どれだけ美しく見せられるかだけなんです。」
華鳳は庭園の光で湯を輝かせ、
泉慶は静けさで湯の余韻を深め、
越の里は空間の密度で湯の魅力を高める。
それぞれの宿が“湯の語り部”として進化した裏側には、
「湯そのものへの敬意」がある。
100年続いた理由は、湯の奇跡と人の情熱が溶け合ったから
石油掘削という“失敗”から生まれた温泉は、気づけば新潟県屈指の宿泊地となった。
だがその背景には、湯を信じた人、湯を守った人、
湯の魅力を誰よりも愛した宿の人々がいた。
月岡温泉は、偶然湧いた湯が作った奇跡ではない。
「湯を信じた人間の歴史が積み重なってできた温泉地」なのだ。
だからこそ今、月岡温泉が持つ静けさや温もりは、
ただの“温泉の特徴”ではなく、
100年の時間が染み込んだ文化そのものだといえる。
僕が取材で宿の方に伺った話では、
「月岡は湯が主役。私たちはその魅力をどう引き立てるかを考えてきた」と口をそろえて語る。
白玉の湯とは?|月岡温泉が“美肌の湯”と呼ばれる理由
月岡温泉の湯は、まるで溶けた翡翠のような淡いエメラルド色。
手を沈めると、湯が肌の上をそっと滑り、指先にまろやかな感触が残る。
月岡温泉の泉質を専門的に解説する事にしよう。
月岡温泉の源泉は硫黄含有の弱アルカリ性。
温泉法で定義される「含硫黄泉(ガス性を除く)」に該当し、硫化水素イオンと総硫黄量の高さが特徴だ。

観光協会が公開する温泉分析表を読むと、
“硫化水素イオン(HS−)の含有量が高く、pHはおよそ7.6前後”。
この組み合わせが、独特の翡翠色と、とろみのある肌ざわりを生む。
硫黄泉は日本全国でも割合が少なく、
温泉地の専門家からは「希少価値の高い泉質」とされる。
硫黄分が皮膚の角質をやわらかくするため、いわゆる“美肌の湯”として広く知られる理由もここにある。
僕自身、何度も白玉の湯に浸かってきたが、湯から上がってタオルで肌を押さえた瞬間、
“肌の表面が一段階しっとりする”感覚は、他の温泉と明らかに違う。
この白玉の湯を贅沢に使っているのが、
華鳳/泉慶/別邸 越の里の三宿だ。
白玉の湯 華鳳——景色が旅人を抱きしめる宿
月岡温泉の宿を語るとき、僕の中で最初に浮かぶのは、
早朝の白玉の湯 華鳳のロビーから見た景色だ。
夜の名残を少しだけ抱えた空が、ゆっくりと白みはじめる。
大きなガラスの向こう、庭園の池が静かに揺れ、
木々は朝の光を受けて、まだ眠たげにそよいでいる。
その瞬間、僕はいつも思う。
――あぁ、この宿は風景そのもので旅人を抱きしめるんだ。

華鳳の物語は、“庭”から始まる
華鳳を象徴するのは、まず日本庭園だ。
ただ庭が美しいのではない。
光の入り方、風の抜け方、水面の揺らぎ。
そのすべてが “旅人の呼吸” に寄り添うように設計されている。
僕が取材で訪れた際、庭師の方が静かに言った。
「庭は、見る人の心の形を映す鏡なんです。」
華鳳の庭園には“余白”が多い。
石や水や緑が強く主張しすぎない。
その余白に、旅人それぞれの心が入り込んでいく。
この庭を眺めていると、
胸の奥の見えない重さが、ふっと軽くなるのを感じる。
ロビーは“風景を迎える舞台”
華鳳のロビーは規模が大きいのに、威圧的ではない。
むしろ、包み込まれるような広がりがある。
理由は明確だ。
- 全面ガラスで庭園が一枚の風景画となる設計
- 床・壁・天井の色が“庭の色”を邪魔しない
- 光が“景色を見るための灯り”になっている
ここに立つと、
建物の中でありながら、外の風景に抱かれているような感覚がある。
朝・昼・夕・夜。
時間帯によって景色が少しずつ変わり、
同じ場所にいながら“別の物語”を見ているようだ。
湯に浸かると、庭の音が胸の奥にしみていく
華鳳の露天風呂に浸かると、まず驚くのが“静けさの深さ”だ。
庭園の緑と白玉の湯の翡翠色が溶け合い、
風が枝を揺らす音が遠くからやさしく届く。
白玉の湯の柔らかさは第二章で述べた通りだが、
華鳳では空間と湯が調和し、
“湯の美しさが景色に共鳴する”という稀な時間が生まれる。
夕暮れどきは格別だ。
空が金色に染まると、湯の表面も淡く光を宿す。
手を湯に沈めると、光がほどけるように広がる。
この美しさは、写真では半分も伝わらない。
湯に身を委ねた“時間の密度”があってこそ、初めて味わえる景色だ。
客室は、景色と旅人が静かに会話する場所
華鳳の客室に入ると、まず感じるのが、
「視界のやわらかさ」だ。
窓は大きいが、光が入りすぎない。
家具は上質だが、主張しすぎない。
部屋の空気が、旅人の内側にそっと寄り添うようになっている。
ソファに腰を下ろし、庭をぼんやり眺めていると、
時間が静かにほどけていく。
華鳳の客室は“豪華”ではなく、
“背伸びをしない贅沢”がある。
旅人が自分のペースで深呼吸できる空間。
ここには、宿泊施設としての完成度ではなく、
ひとつの“生きた空間の美しさ”がある。
華鳳の料理は“季節の気配”をそっと添える
食事会場に入ると、
香りと灯りが静かに旅人を迎えてくれる。
華鳳の料理は、派手ではないが“美しく整っている”。
とくに新潟の海と大地の恵みは、
料理人の手によって「物語を持つ食事」へと昇華されている。
料理長は取材でこう語った。
「素材が語りすぎず、黙りすぎず、
ちょうどいい温度で季節を伝えるように意識しています。」
実際にいただくと、
その言葉が腑に落ちる。
一皿ごとに、旅の記憶にそっと光があたるような味わいだった。
華鳳が“月岡温泉の入口”として選ばれる理由
華鳳には、
月岡温泉を初めて訪れた人を包み込む力がある。
庭、光、風、香り、湯――
それらが一枚の絵のように重なり、
“この温泉地を好きになるきっかけ”を穏やかに差し出してくれる。
僕は旅ライターとして、多くの人に月岡温泉を紹介してきたが、
初めての月岡温泉に華鳳を選んで後悔した人を見たことがない。
それはこの宿が、
月岡温泉の魅力を最初に最も美しい形で伝えてくれるからだ。
旅の終わり、ロビーに立つと見えるもの
チェックアウトの日。
旅支度を整え、ロビーのガラス越しに庭園を見たとき、
僕はいつもひとつの感覚に包まれる。
――あぁ、旅は自分を思い出す時間だったんだ。
華鳳は、景色という形のない優しさで旅人を抱きしめる。
その包容力こそ、
月岡温泉の“入口の宿”と呼ばれるゆえんなのだ。
白玉の湯 泉慶——静けさを磨き続けた宿
旅の途中でふと、「音が静かに整っていく宿」に出会うことがある。
月岡温泉の白玉の湯 泉慶は、まさにその代表だ。
華鳳が“景色という外側の静けさ”なら、泉慶は“心の奥でそっと広がる静けさ”。
内と外の静寂が違うのだ。
館内に一歩入った瞬間、照明の柔らかさと空気の湿度が、
旅人の肩から余計な力を静かに落としていく。
この宿は“豪華さ”ではなく、
静けさそのものを美しく仕立てている。

泉慶の静けさは「削る美学」でできている
旅ライターとして多くの宿を歩いてきたが、
泉慶ほど“引き算の美しさ”を徹底している宿は珍しい。
たとえば――
- 廊下の絨毯が深く、足音が吸い込まれる
- 灯りは必要以上に照らさず、影がやわらかい
- 装飾は控えめで、空間に“余白”がある
- 館内の香りが静かで、空気が軽い
派手さはない。
けれど、歩いていると、気づかないうちに
心の中の雑音がすうっと消えていく。
この“静けさのデザイン”こそ、
泉慶という宿の核にある美学だ。
大浴場は“湯と呼吸が交わる場所”
泉慶の大浴場に入ると、まず視界がゆったりとひらける。
湯の翡翠色が静かに広がり、光が湯面に淡く溶けるように揺れている。
華鳳の湯が“景色と共鳴する湯”なら、泉慶の湯は“呼吸と共鳴する湯”だ。
肩まで浸かった瞬間、胸の奥に溜まっていたざわつきが、湯にゆらゆらと溶けていく。
湯上がり処で座ると、硫黄の香りがほんのりと漂い、外気が頬をすべり落ちる。
あの静かな余韻は、きっと誰の心にも深く残るだろう。
料理は“心が休まる味”で設計されている
泉慶の料理は、豪華さよりも“丁寧さ”。
過度に演出しないかわりに、素材そのものが持つ優しさが前に出る。
刺身の透明感、出汁の奥行き、野菜のしっとりした甘さ。
料理長の言葉が、この宿の本質を表している。
「味に強い音をつけないこと。
旅人が静かに眠れる料理をつくること。」
食べ終わったあと、身体に負担がなく、余韻が心に残る。
まさに“静けさを食す料理”。
華鳳との差は“静けさの方向”にある
両方に泊まってきた立場から言えば、華鳳と泉慶の違いは、ひと言でこうだ。
華鳳=外側から整える静けさ泉慶=内側から整える静けさ
華鳳の庭園のような壮観はない。
しかし泉慶には、“旅人を深く深く沈める静けさ”がある。
目を閉じると、旅の音が遠くで消えていき、自分の呼吸だけが静かに残るような感覚。
その静けさは、一度触れるとくせになる。
泉慶が“記憶に残る宿”であり続ける理由
豪華さは、時間とともに薄れていく。
だが静けさは、人の心に残りやすい。
泉慶には、
“心が落ち着きを取り戻す宿”という軸がある。
照明、湯、建築、香り、料理、接客――
すべてがその軸に沿っている。
だからこそ、旅慣れた夫婦や一人旅の女性に信じられないほど人気があるのだ。
「また帰りたくなる宿」には法則がある。
泉慶はその法則を静かに体現している宿だ。
泉慶の夜は“月岡温泉の静寂そのもの”になる
僕が特に好きなのは、泉慶の夜だ。
廊下の灯りは落ち、空気が少し冷たくなると、
館内全体が“月岡温泉そのものの静寂”を帯びていく。
窓の向こう、わずかに漂う硫黄の香りと、
夜風の音が混ざり合って、まるで温泉地がゆっくり呼吸しているようだった。
その静かな呼吸に耳を澄ませていると、
自分の中のざわつきがひとつ、またひとつと消えていく。
旅人が泉慶を愛する理由は、きっとこの夜の静けさにある。
白玉の湯 別邸 越の里 —— 静寂の極地
越の里を語るとき、僕はいつもことばを選んでしまう。
この宿は、旅館という枠には収まらない。
「静寂そのものがかたちを持ったような場所」なのだ。
華鳳が“景色の静けさ”、
泉慶が“内側の静けさ”だとすれば、
越の里は“魂の底に触れる静けさ”。
その感覚は、玄関をくぐった瞬間にわかる。

一歩踏み入れた瞬間、“空気の粒”が変わる
ドアが閉まる音がすっと消え、足元にふわりとした静寂が広がる。
越の里の空気は、ほかの宿とは明らかに違う。
湿度、香り、光の密度――
それらの配合が、旅人の呼吸にそっと寄り添うように調整されている。
空間は華美ではない。
むしろ控えめで、静かで、整然としている。
だが、その控えめさの奥に、 「手の込んだ上質さ」が潜んでいる。
僕が取材で訪れた際、スタッフの方が言った。
「“丁寧な静けさ”を壊さないことを大切にしています。」
その言葉どおり、 越の里は“音を足さない贅沢”を知っている宿だ。
全20室・全室スイートという覚悟
越の里の客室は、すべてスイートルーム。
ただ広いだけではない。
心が落ち着く温度、 視界の抜け方、 家具の配置、
灯りの角度―― どれもが「旅人の呼吸」に合わせて設計されている。
部屋に入ると、空間そのものが旅人を包み込む。
ソファに身体を預け、庭の緑や風の揺らぎを眺めているだけで、
胸の奥のざわつきが少しずつ溶けていく。
ここには、 「何もしなくても癒される空間」がある。
客室露天風呂は、“白玉の湯の最も美しいかたち”
越の里の真価は、客室露天風呂にこそある。
月岡の翡翠色の湯を、 外気と静寂と自分だけの時間で味わえる。
湯に手を沈めると、とろりとした感触が指先にまとわりつき、
光が湯の中でゆらゆら漂う。
夜になると、庭の灯籠の光が湯面で揺れ、その揺らぎが部屋の壁に吸い込まれる。
肩まで浸かった瞬間、世界の音がひとつずつ消えていく。
白玉の湯を最も“深く”味わえるのは、やはりこの客室露天風呂だと僕は思う。
料理は“声を荒げない美しさ”
越の里の料理は、華やかに盛り立てるのではなく、静かに凛と佇む美しさがある。
器のなかに季節がそっと置かれ、味は丁寧で、余韻が長い。
特に印象的だったのは、料理長の哲学だ。
「素材の声の大きさは、料理人が決めるのではなく、
素材自身が決めること。」
この姿勢が、越の里という宿の品位を作っている。
食後の静けさは、まるで湯上がりの肌のようにやわらかい。
越の里のスタッフは、“距離感の美学”を知っている
越の里の価値を語るうえで欠かせないのが、スタッフの立ち姿・佇まいだ。
過度に距離を詰めず、必要なときだけ近づき、気配を消すように離れる。
言葉の量を間違えない。
笑顔の強さを間違えない。
この“自然な接客”は、技術として非常に高度だ。
だからこそ越の里は、“安心して沈み込める宿”になっている。
越の里は、人生の節目に選ばれる宿である
華鳳の景観美、泉慶の内なる静けさ―― それぞれが魅力的だ。
しかし越の里には、他の二つにはない 「人生の節目を受け止める力」がある。
結婚記念日や還暦祝い、大切な人との節目、自分自身を見つめ直す旅。
そのどれもが、この宿の静けさに深く馴染む。
越の里は、旅の行程のための宿ではない。
“旅の目的になる宿”だ。
一泊した翌朝、旅人は“少し優しくなって帰っていく”
チェックアウトの朝、薄い光が庭に落ちていくのを眺めながら、
僕はいつも静かに思う。
――越の里は、湯ではなく“静けさ”で心を満たす宿だ。
この静けさに包まれると、人はほんの少しだけ優しくなれる。
自分にも、世界にも。
その変化は、きっと越の里が旅人に残す最大の贈り物なのだと思う。
3つの宿の違いを“物語”として読む
月岡温泉には、同じ源泉を分け合う三つの宿がある。
白玉の湯 華鳳、泉慶、そして別邸 越の里。
同じ翡翠色の湯を持ちながら、
三宿の「静けさ」はまったく別の物語を語りはじめる。
それは、旅人の心を三つの方向から照らす
“静寂の三部作”のようでもある。

華鳳は「外側の静けさ」で、旅人の風景を整える
華鳳に流れる静けさは、
まず 外の風景 からやってくる。
ガラス越しに広がる庭園、
水面の揺らぎ、
光が庭を横切る速度。
それらが旅人の視界を満たし、
心の表面にあるざわつきをゆっくり拭い取っていく。
華鳳は、
「景色によって旅人の心をひらく宿」だ。
泉慶は「内側の静けさ」で、旅人の呼吸を整える
泉慶には、華鳳のような雄大な庭園はない。
しかしそこには、“心の奥に潜り込んでくる静寂”がある。
照明の落とし方、廊下の深い絨毯、香りの控えめさ――
それらは旅人の内側をゆっくりと整えていく。
華鳳が“外側から整える宿”なら、
泉慶は、“内側から整える宿”。
越の里は「深層の静けさ」で、旅人の心の底に触れる
越の里に滞在していると、静寂が体の奥へと降りていくのがわかる。
客室の温度、光の密度、音の少なさ、空間に漂う透明感。
すべてが静寂のために存在しており、
旅人は、まるで自分の心の底をゆっくり覗き込むような感覚になる。
越の里は、“旅人を深い静寂へ導く宿”だ。
3つの静けさは、こうして姿を変える
| 宿名 | 静けさの方向 | 心への作用 | おすすめ層 |
|---|---|---|---|
| 華鳳 | 外側の静けさ | 視界が整い、心が開く | 初めての月岡・家族旅・景色重視 |
| 泉慶 | 内側の静けさ | 呼吸が深まり、心が整う | 大人旅・夫婦旅・一人旅 |
| 越の里 | 深層の静けさ | 心の底まで満たされる | 記念日・特別な旅・自分を癒す旅 |
三宿は、“どれが上か”で選ぶものではない。
「いまの自分が、どんな静けさを求めているか」で選ぶ宿だ。
静けさは、旅人の心を映す鏡である
華鳳の庭を見て心が軽くなる人がいれば、
泉慶の灯りに安心する人もいる。
越の里の静寂に涙が出る人もいる。
静けさとは、旅人が“いまの自分”に出会うための鏡だ。
三宿はそれぞれ違う鏡を持っており、
どの鏡に映る自分を見たいかで旅の行き先が決まる。
そしてその鏡は、白玉の湯というひとつの源泉から生まれた
奇跡の三分岐でもある。
三宿のすべてを歩いて気づいた真実
僕は仕事でもプライベートでもこの三宿に足を運んできた。
そこで気づいたのは、たったひとつ。
――人は、静けさの種類によって癒やされ方が変わる。
賑わいから離れて深呼吸したくなる日もあれば、
自分の内側をそっと整えたい時もある。
心の奥にある見たくなかった感情に触れたい夜もある。
華鳳・泉慶・越の里は、
そのすべてを受け止める“三つの静寂”として存在している。
そしてその三つは、月岡温泉という土地に根を下ろした、ひとつの壮大な物語なのだ。
月岡温泉の町あるき —— 翡翠色の湯が作った文化
宿を出て、ほんの数歩。
その瞬間から、月岡温泉の“町の呼吸”が始まる。
硫黄を含んだ湯気が風に乗り、遠くの屋根の上をやわらかく撫でていく。
この独特の香りを吸い込むと、「あぁ、月岡に帰ってきたな」と胸の奥が静かにほどけていく。
ここからは、僕が実際に歩いて感じた“月岡温泉という町そのものの物語”を語っていこう。

早朝の月岡は“湯の香りの呼吸”を感じる時間
朝6時前後、まだ温泉街が目を覚ましきっていない頃がいちばん好きだ。
街灯がぽつりぽつりと灯り、空がグレーから水色へ少しずつ変わっていく。
その空気のなかには、白玉の湯の硫黄の香りが静かに溶けている。
温泉地というより、“湯そのものが町を温めている”ような感覚がある。
湯気が路地に流れ込む姿を見ているだけで、旅の朝が丁寧に始まっていく。
足湯・手湯は“温泉地の本能”である
月岡温泉には、気軽に立ち寄れる足湯・手湯が多い。
これは観光向けの施設というより、「人と湯が自然に触れ合える場所」として存在している。
制作側の意識もそれを象徴している。
足湯の温度は高すぎず、手湯は風の通り道に置かれ、
散策の途中にふと寄りたくなるよう配置されている。
足湯のお湯に足を沈めると、湯の熱が皮膚を伝い、心の奥にまでじんわり届く。
これは“温泉地にいる”という実感をもっとも手軽に、そして深く味わえる体験だ。
和菓子と日本酒 —— 湯が育てた“甘さと香り”
月岡温泉の町歩きで欠かせないのが、和菓子と日本酒だ。
月岡の和菓子は、やさしい甘さで心を緩めてくれる。
名物の“月岡まんじゅう”は、湯上がりに食べると、湯の香りと餡の甘みが静かに調和する。
一方、日本酒は、新潟らしい透明感のある味わい。
蔵元が湯の香りに合うようにブレンドした限定銘柄もある。
湯のあとにひと口飲むと、喉をすべる冷たさと香りが、体の芯にゆっくり溶けていく。
源泉飲泉場は、月岡の“原点に触れる場所”
温泉街の中心には、源泉を直接味わえる飲泉場がある。
ほんの少し掬って口に含むと、硫黄の香りとほのかな金気を感じる。
美味しいとは言えない。
しかし、「あぁ、この湯は地球の奥から来たんだ」
そんな実感が強烈に押し寄せる。
飲泉場の隣には湯が流れる小さな水路があり、
その地面には白い湯の花が結晶のように残っている。
湯の色ではなく“湯の生命力”を感じる場所だ。
月岡温泉は“夜”が本当に美しい
日が暮れると、温泉街の灯りが静かに点りはじめる。
ネオンの明るさではなく、昔のランプのような柔らかい光。
路地に差し込む灯りが湯気と混ざり、通りに淡い白が漂う。
この時間帯に歩くと、まるで“湯そのものの中を散歩している”ような感覚になる。
カップル旅や夫婦旅で一番印象に残るのは、この夜の空気だろう。
旅のスタイル別・おすすめ散策ルート
カップル・夫婦旅
カップルや夫婦で月岡を歩くなら、僕はいつも「夕方スタートのゆっくりコース」をすすめている。
実際に取材のあと、妻と二人で歩いたときのルートがこちらだ。
- ① 夕暮れの温泉街を並んで歩く
17〜18時頃、空がオレンジから群青へ変わりかける時間。
湯けむりが立ちのぼる細い路地を、並んでゆっくり歩く。
街灯がぽつぽつ点き始め、「寒くなってきたね」と自然に手をつなぐ距離感になるのが、この時間帯のいいところ。
実際、湯けむり越しに見る横顔は、写真よりずっと記憶に残る。 - ② 手湯で「ちょっとだけ温まる時間」を共有
温泉街の中心近くにある手湯スポットに立ち寄る。
二人で並んで手を浸けると、指先からじんわり体温が戻ってくる感覚を同時に味わえる。
僕はここで、よく「今日一番印象に残った瞬間はどこだった?」と聞く。
視線を交わしながら話しているうちに、その日一日の記憶がふわっと浮かび上がる。 - ③ 飲泉場で「地球の味」を一緒に試す
手のひらに少しだけ源泉をすくい、二人で恐る恐る口に含む。
正直、美味しいとは言えない。でも、“地球の奥から来た味”を一緒に体験したという事実が、後からじわじわ効いてくる。
「まずいね」「でもおもしろいね」と笑い合える、この小さな共犯感も旅の醍醐味だ。 - ④ 締めは日本酒バーで、湯上がりの一杯
宿に戻ってひと風呂浴びたあと、夜は日本酒バーへ。
新潟の地酒を少しずつ飲み比べながら、
「次はどの季節に来ようか」「今度は誰を連れてきたい?」と、未来の話をする時間が楽しい。
照明が少し落ちたカウンター席なら、自然と会話が深くなっていく。
夜の湯気と街灯の光は、本当にロマンチックだ。
「特別なことはしていないのに、特別な時間だった」と感じるのが、月岡の夜散歩のすごいところだと思う。
一人旅
一人で月岡に滞在するとき、僕は必ず「早朝の一人散歩ルート」をつくる。
誰とも話さず、ただ自分の気配だけを確かめながら歩く時間が、心を静かに整えてくれる。
- ① 早朝、湯けむりの中を歩く
6時前後、まだ人の少ない時間帯に外へ出る。
冷たい空気の中、硫黄の香りがふわっと混ざって、
「あぁ、今、自分は温泉地にいるんだな」と全身で実感する。
誰もいない路地で、自分の足音だけが小さく響く感じが、ひとり旅にはたまらない。 - ② 老舗の和菓子屋の暖簾が上がる瞬間に立ち会う
開店準備をしている和菓子屋の前で、そっとその様子を眺める。
ショーケースに並べられていく饅頭やどら焼き、
「おはようございます」と交わされる店の会話。
そこでひとつふたつ買って、
「今日はこれを相棒にしよう」と紙袋を持って歩くのが、僕の密かな楽しみだ。 - ③ 足湯に浸かりながら本を一冊開く
宿から少し歩いた足湯スポットで、持ってきた文庫本を開く。
足はあたたかく、頬はひんやりしている状態で読む一行は、
家で読む同じ本よりも不思議と胸に入ってくる。
湯気がページの向こうで揺れるのを見ながら、
「今ここでしか味わえない読書時間」をじっくり楽しむ。
静けさを味わうなら、間違いなく朝の月岡がいい。
自分の呼吸と足音だけの世界を歩くと、
帰る頃には「少しだけ、自分に優しくなれた気がする」のだ。
女子旅・友人旅
女子旅や友人との旅では、
“しゃべりながら写真を撮って歩く”という楽しみ方がしっくりくる。
取材で何度か女子グループに同行させてもらったときの、鉄板パターンがこれだ。
- ① 温泉街の“フォトスポット”をハシゴする
湯けむりが立ち上る路地、
カラフルな暖簾や、昔ながらの看板。
立ち止まるたびに「ここちょっと撮ろう!」と声が上がる。
とくに、硫黄の白い湯気と色浴衣のコントラストは写真映え抜群で、
あとから見返すと「この時めちゃくちゃ笑ってたね」と話のネタにもなる。 - ② カフェで“湯上がりスイーツ”をシェア
散策の途中、センスのいいカフェに入って
地元のフルーツや牛乳を使ったスイーツをシェアする。
「一口ちょうだい」が自然に飛び交う時間は、
旅のテンションをもう一段階上げてくれる。
温泉地限定のドリンクやソフトクリームは、SNSにも上げたくなる。 - ③ お土産通りで“自分へのごほうび”探し
日本酒コスメ、温泉成分入りのスキンケア、
地元のお菓子や雑貨。
「家族にはこれ」「自分にはこれ」と選んでいると、
自分のことをちゃんと大事にしてあげている感覚がじんわり湧いてくる。
友人と「それ似合うよ」「それ、絶対喜ばれる」と言い合う時間もまた楽しい。
女子旅や友人旅では、
“写真・会話・共有”が旅の主役になる。
月岡の柔らかい光と湯けむりは、そのすべてをやさしく包んでくれる。
家族旅
家族で月岡を歩くとき、僕がよく見るのは
「子どものテンションと親のペースの両方を守る歩き方」だ。
実際、子ども連れの読者さんからヒアリングした“リアルに使えるルート”がこれ。
- ① まずは足湯で「温泉って気持ちいい」を体験させる
いきなり大浴場だと緊張する子でも、足湯ならハードルが低い。
「あったかいね」「くすぐったいね」と言いながら、
家族全員で足を並べるだけで、
もう立派な“家族写真にしたい瞬間”ができあがる。 - ② 甘いもので機嫌を整える:お菓子屋さんへ
足湯のあとは、近くのお菓子屋さんでおやつタイム。
子どもはソフトクリームや饅頭、大人はお茶と一緒に一息。
ここで「今日はこのあと温泉にも入ろうね」とさりげなく予告しておくと、
子どもも“温泉=楽しい日”として記憶しやすい。 - ③ 色浴衣で記念撮影:その日いちばんのイベントに
宿や街中で色浴衣をレンタルできる場合は、ぜひ家族全員で。
子ども用の小さな浴衣姿は、想像以上にかわいい。
湯けむりの立つ通りで、
「はい、月岡家族旅!」と一枚撮るだけで、
その旅は何年経っても忘れられない一日になる。
月岡の規模感はコンパクトで、
移動距離が短いのも家族旅には大きなメリットだ。
「歩き疲れて機嫌が悪くなる前に、次の楽しいポイントに着ける」
このバランスの良さが、家族連れから支持されている理由だと思う。
月岡温泉という町は、湯と人がつくった文化でできている
湯が湧き、人が集まり、その人々が湯を守り、湯がまた旅人を呼び寄せる。
月岡温泉の町は、その循環のなかで静かに育まれてきた。
だからこそ、歩いていると“土地の優しさ”が伝わってくる。
宿に泊まるだけでは知ることのできない、月岡温泉の“根っこ”がここにある。
この町は、白玉の湯とともに生き、湯の香りとともに旅人を迎えてきたのだ。
【結論】華鳳・泉慶・越の里の違いをひと言でまとめる
| 宿 | ひと言でいうと | おすすめの人 |
|---|---|---|
| 華鳳 | 庭園×眺望×写真映えの王者 | 初めての月岡温泉・記念日・家族旅 |
| 泉慶 | 和モダンの静けさで整う宿 | 夫婦旅・大人旅・ゆったり派 |
| 越の里 | 全室スイートの別格空間 | 極上の滞在を求める人 |
僕のおすすめルートはこれ。
月岡温泉は、一度にすべてを理解しようとするより、
「順番に味わうことで深みが増す温泉地」だと思っている。
まるで、一冊の長編小説をページの順にめくるように。
だから僕は、友人から
「どの宿から泊まるべき?」と相談されると、
いつも決まってこの“3部作の順番”をすすめている。
1回目:華鳳で“月岡温泉の景色”に触れる。
まずは外側の美しさから旅を始めるのがいい。
華鳳のロビーから見える庭園の光景は、
月岡に訪れた旅人へ最初の“導入文”のように心をひらいてくれる。
湯気がふわりと立ちのぼり、池の水面が淡く揺れる。
その景色に包まれながら浸かる白玉の湯は、
「ああ、自分はいま旅に来ているんだ」という実感を
静かに与えてくれる。
2回目:泉慶で“静けさの美学”を知る。
二度目は、より深い世界へ足を踏み入れる段階だ。
泉慶は華鳳の華やかさとは対照的に、
灯り、音、空気の温度までもが計算され、
宿そのものが“内側の旅”へと誘ってくれる。
湯に浸かって目を閉じると、
遠くで響くわずかな風の音や、
湯の揺らぎが自分の呼吸と重なり、
静寂が胸の奥にしんと染み渡る。
この感覚は二度目の訪問だからこそより深く味わえる。
3回目:越の里で“極上の完成形”へたどり着く。
三つ目の宿は、旅のクライマックスにふさわしい。
越の里は、白玉の湯の魅力をもっとも純度高く感じられる宿だ。
客室露天に身を沈め、
外気と湯の温度が肌の境界で溶け合うあの瞬間――
「ああ、これまで歩いてきた月岡の旅は
この静けさのためにあったのかもしれない」
と、自然に思えてしまう。
ここで味わう白玉の湯は、
単なる温泉ではなく“心を整える空間そのもの”だ。
同じ白玉の湯でも、
華鳳・泉慶・越の里はまるで三章構成の物語のように違う。
導入、美しさ、静寂、深さ――
どれも順番が意味を持ち、
そのたびに旅人の心がふっと姿を変える。
旅とは、どんなページからめくるかで、
その物語の響き方がまるで変わってくるものなのだ。
FAQ|よくある質問に蒼井悠真が実体験で答える
Q1. 白玉の湯の泉質って、実際どう? 肌に本当に効くの?
これは友人から一番よく聞かれる質問。
結論から言うと「白玉の湯は、肌の変化を“実感レベル”で感じられる珍しい湯」です。
僕自身、初めて月岡に入ったとき、湯から上がって腕を触った瞬間、
「あれ? 俺こんな肌だったっけ?」
と声が出るくらい、しっとり感が残りました。
泉質は硫黄含有の弱アルカリ性泉。
硫黄泉はそもそも全国でも少なく、
弱アルカリ性との組み合わせは“角質をやさしく落とし、皮脂を整える”働きがある。
美容ライターさんや温泉分析の研究者の方とも話したことがありますが、
「温泉の中でも、ここまで“肌でわかる湯”は貴重」とのこと。
旅から帰った翌日の肌がいちばんわかりやすいですよ。
Q2. 華鳳と泉慶って、どっちがおすすめ? 違いを“正直に”教えてほしい。
これ、友達にめちゃくちゃ聞かれます。
どっちも泊まってるからこそ、正直に言うと――
- 華鳳=「外の景色に癒されたい人向け」
特に夕方の庭園が圧巻。
ロビーの大きなガラスから見える池と緑が、旅の始まりを一気に“特別な時間”に変えてくれる。 - 泉慶=「静けさの中で心を整えたい人向け」
館内の照明の落とし方、廊下の絨毯の深さ、音の少なさ。
“自分の呼吸が聞こえる宿”なんて表現がしっくりくる。
旅慣れた大人ほど泉慶を選ぶ印象。
僕は「景色で心を開きたいとき=華鳳」
「自分に静かに戻りたいとき=泉慶」
と提案しています。
Q3. 越の里って高いって聞くけど、正直その価値はある?
これもよく言われます。「あそこ高いよね?」って。
結論、あります。というか、泊まってみると“むしろ安いのでは?”と思う瞬間すらある。
僕も初めて泊まる前はドキドキしてましたが、
客室露天の湯に浸かって外気を吸い込んだ瞬間、
「あ、これは静寂を買う宿なんだ」と腑に落ちたんです。
サービスは過度じゃないのに研ぎ澄まされていて、
スタッフの方の距離感も絶妙。
食事も静かに美しい。
僕が仲のいいカップルにおすすめするのは、
「記念日や、人生の節目に泊まる宿」として越の里を使うこと。
値段ではなく、“あの静けさをどれだけ必要としているか”で選ぶ宿です。
Q4. 初めて月岡に行くなら、どの宿に泊まればいい?
僕が友人にすすめる“最初の1軒”は迷わず華鳳です。
理由は、月岡温泉の良さを「視覚」でいちばん感じやすいから。
初めての旅で大事なのは「その土地の第一印象をどう感じるか」。
華鳳の庭園と光景は、その役目を完璧に果たしてくれる。
2回目は泉慶で“内側の静けさ”を味わい、
3回目くらいで越の里に行くと、
月岡温泉の魅力の立体感が一気にわかる。
Q5. 日帰り入浴でも白玉の湯って楽しめる?
友人がふらっと寄るというとき、
僕は「日帰りでも十分“白玉の湯の本質”に触れられるよ」と言っています。
実際、僕自身も何度も日帰りで入りましたが、
湯の柔らかさ、香り、湯上がりの肌の変化は
短時間でもはっきりわかる。
ただし、“静寂の深さ”まで味わいたいなら泊まりが圧倒的におすすめ。
夕方の光や、朝の硫黄の香り、夜の静けさは、
日帰りでは絶対に触れられないからです。
Q6. 小さな子どもや年配の家族も楽しめる?
友人の家族旅行に同行したとき、
3歳と70歳のおばあちゃんの両方が楽しんでいて驚きました。
白玉の湯は刺激が強すぎず、
泉質のやわらかさが肌に優しいので、
年齢問わず受け入れてくれる“包容力のある湯”なんです。
華鳳は庭園が広くて歩きやすいし、
泉慶は館内移動が少なく負担が少ない。
越の里は静けさが深いので、
「夫婦ふたり旅」「親孝行旅」に特に向いています。
引用・参考ソース(権威メディア)
・観光庁 公式 月岡温泉データ
https://www.mlit.go.jp/kankocho/
・るるぶトラベル 月岡温泉ガイド
https://www.rurubu.travel/
・じゃらん 白玉の湯 華鳳
https://www.jalan.net/
・トラベルコ 月岡温泉特集
https://www.tour.ne.jp/
※各宿の公式サイト情報と実地取材をもとに構成。温泉泉質情報は観光協会・宿公式を参照しつつ執筆。


