PR

みはらしの丘 みたまの湯|2月の凍える寒さのなかで“生き返る”ために向かった雲の上の温泉

ホテル・温泉レビュー
記事内に広告が含まれています。

2月は、日本でいちばん寒い季節だ。
朝、エンジンをかけた車のフロントガラスは白く曇り、
外に出た瞬間、肺の奥がきゅっと縮こまる。

「今日は、ちゃんと温まりに行こう」
そう決めて向かったのが、山梨県市川三郷町の高台にある
みはらしの丘 みたまの湯だった。

「みたまの湯」は、甲府盆地を一望できる絶景温泉として知られている。
けれど正直に言えば、最初から期待して訪れた場所ではなかった。

僕が初めてこの温泉を訪れたのは、今から3年前の秋
旅慣れた友人に「帰りに、ちょっと寄っていこう」と誘われ、深く考えもせず車に揺られていた。
そのときの僕は、「景色がいいらしいよ」という、よくある前情報しか持っていなかった。

温泉好きなら、きっと一度は経験があると思う。
「絶景」「パノラマ」「天空の湯」——
そう謳われた温泉に足を運んでみたものの、実際はフェンスや建物が視界に入り、
「うん、まあ…悪くはないかな」という、あの微妙な気持ちになる瞬間。

正直、みたまの湯も、その延長線上だと思っていた。

ところが、駐車場に車を停め、建物へ向かう途中で、その予想は静かに裏切られた。
視界の先に、甲府盆地が“丸ごと”広がっていたからだ。

高台から見下ろす景色には、誇張がない。
余計な演出も、都合のいい切り取りもない。
山々の稜線、盆地に点在する街並み、空の奥行き——
すべてが、そのままの距離感で、目の前にある。

露天風呂に身を沈めた瞬間、僕は思わず湯船の縁に肘をついた。
「これは……本物だな」
誰に向けたわけでもない独り言が、自然と口をついて出たのを覚えている。

それ以来、季節を変えて何度もこの場所を訪れている。
春には、やわらかな霞が盆地を包み、
夏には、夕立のあとに空気が一気に澄み渡る。
秋には、空が高く、街の輪郭がくっきりと浮かび上がり、
冬には、冷たい空気と温かな湯の対比が、五感を研ぎ澄ませてくれる。

年に数回、ふと「行きたいな」と思い出す場所というのは、案外少ない。
みたまの湯は、僕にとって間違いなくそのひとつだ。

泉質についても、触れておきたい。
アルカリ性単純温泉の湯は刺激が少なく、長く浸かっていても疲れにくい。
初めて訪れた友人が、「なんだか、肌が軽い感じがする」と言ったのが印象に残っている。
派手な効能を主張する湯ではないが、“何も邪魔しない心地よさ”が、ここにはある。

何度も通ううちに、自然と「自分なりの楽しみ方」も見えてきた。
おすすめの時間帯、混み合いやすい曜日、露天風呂で立ち止まってほしい視線の置きどころ。
そういった小さなコツを知っているかどうかで、この温泉の満足度は驚くほど変わる。

今回の記事では、観光案内のような表面的な情報ではなく、
実際に通い続けているからこそわかった、みたまの湯の楽しみ方を、
できるだけ正直に、読者の目線でお伝えしていきたいと思っている。

もしあなたが、
「景色に裏切られない温泉を探している」
「わざわざ行く理由のある日帰り温泉を知りたい」
そう思っているなら、この先の話はきっと役に立つはずだ。

あの日、何気なく立ち寄った場所が、
今では季節の節目に思い出す“帰りたくなる温泉”になっている。
そんな場所が人生にひとつ増えるのは、案外、悪くない。


冬の坂道を登るほど、世界は静かになっていく

ナビに従い、くねくねとした坂道を登っていく。
ハンドルを切るたび、街が少しずつ背後に遠ざかっていくのがわかる。

標高が上がるにつれ、耳に入ってくる音が変わっていった。
エンジン音はそのままなのに、生活の気配だけが削ぎ落とされていく。
信号も、コンビニも、人の声も、いつの間にか視界から消えている。

こういう感覚を、僕は何度も旅の途中で味わってきた。
「いい場所に向かっているとき」は、不思議と、道中から静かになっていくものだ。

畑は眠り、木々は葉を落とし、
冬の山は余計なものをすべて手放していた。
色は少ないのに、景色はやけに豊かで、
枝の一本一本が、空気の冷たさまで描き出している。

派手さはない。
でも、この「何も足さない感じ」が、嫌いじゃない。
むしろ、これから出会う景色への期待を、静かに膨らませてくれる。

最後のカーブを曲がった瞬間、
それまで前方を塞いでいた山の稜線が、すっとほどけた。

視界が、ふっとひらける。

——ああ、ここまで来てよかった。

思わず、声に出さずにはいられなかった。
狙って言葉にしたわけじゃない。
体が先に反応して、あとから感情が追いついてくる。
本当に心を動かされたときは、だいたいこうだ。

冷たい空気の向こうに、
甲府盆地がすべて見えていた。

「一部」じゃない。
「見える範囲」でもない。
街が、山が、空が、ひとつの景色として、丸ごとそこにあった。

これまで日本各地の“絶景温泉”と呼ばれる場所を巡ってきたけれど、
この瞬間の感覚は、そう何度も味わえるものじゃない。
写真で見たことのある風景なのに、
実物は、想像よりずっと静かで、ずっと深かった。

ここから先に待っている時間が、きっと特別なものになる。
そんな確信だけが、胸の奥にすっと残った。

そしてこの時点で、もうわかっていた。
今日の旅は、帰り道まで含めて、ちゃんと記憶に残る——
そういう日になる、と。


絶景露天風呂みたまの湯の魅力

みたまの湯の最大の特徴は、なんといっても露天風呂からの眺望だ。
「景色のいい温泉」と聞くと、つい身構えてしまう人もいると思うが、僕もそうだった。
期待して行ったのに、実際は建物の縁やフェンスが視界に入って、景色が“部分的”にしか見えない——
そんな経験が一度でもあると、言葉に踊らされない目が育ってしまう。

みたまの湯の景色の物語

でも、みたまの湯は違う。
標高約400メートルの高台にあるこの温泉は、視界のスケールが最初から別格だ。
湯船に体を沈めた瞬間、目の前に広がるのは、いわゆる「いい景色」ではなく、
甲府盆地という“ひとつの世界”そのもの。
眼下に広がる街の輪郭、遠くの山の稜線、空の奥行き。
遮るものが少ない分、景色がまっすぐ胸に入ってくる。

そして、この眺望が本領を発揮するのが夕暮れだ。
僕がいちばん記憶に残っているのは、昨年11月に訪れた日のこと。
季節は秋の終わりで、空気はひんやりと澄み、景色の輪郭が驚くほどくっきりしていた。

午後4時ごろ、露天風呂へ。
湯船に浸かると、最初に感じるのは“温かい”よりも、「ほどける」という感覚だった。
肩の力が抜け、呼吸が深くなる。
そして視線を上げると、富士山を背景に、甲府盆地がゆっくりと夕陽に染まり始めていた。

夕暮れの景色は、写真や言葉では伝えきれない。
空の色は、オレンジから赤へ、赤から紫へ、紫から藍へ。
30分以上、湯船の中でただそれを眺めていた。
時計を見なければ、時間が進んでいることを忘れてしまう。
湯気越しに見る夕陽は、どこか柔らかくて、強い光さえも優しく丸めてしまう。

不思議なのは、その時間が“贅沢”というより、「必要だった」と感じることだ。
湯に浸かりながら刻一刻と変わる空の色を追っていると、日常の喧騒が少しずつ遠ざかっていく。
頭の中で鳴り続けていた雑音が静まり、心の表面が洗われていくようだった。

天気の良い日には、富士山がくっきりと姿を見せる。
そして夜になると、甲府盆地の灯りがひとつ、またひとつと点り始め、
やがて宝石を散りばめたような夜景に変わっていく。

この移ろいがあるから、みたまの湯は何度訪れても飽きない。
同じ場所なのに、毎回違う“景色の物語”を見せてくれる。

旅慣れてくると、「どの時間帯がいちばんいいの?」と聞かれることが増える。
僕の答えはいつもシンプルで、「夕方前に入って、夜までいるのが最高」だ。
空が明るい時間に景色の全体像を受け取り、夕焼けで心をほどき、夜景で締めくくる。
これが、みたまの湯の満足度をいちばん高くしてくれる流れだと思う。

みたまの湯の温泉としての実力

景色ばかり語ってしまったけれど、もちろん温泉としての実力も、ちゃんとある。
泉質はアルカリ性単純温泉
無色透明で匂いもほとんどなく、肌触りがとても柔らかいのが特徴だ。
温泉の個性が強すぎないぶん、初心者でも入りやすいし、湯あたりが心配な人にも向いている。

アルカリ性の湯は、一般的に肌触りが“すべすべ”と表現されることが多いけれど、
みたまの湯の場合はそれよりも、「角がない」という言い方がしっくりくる。
体を包む感覚がやさしくて、長く浸かっていても疲れにくい。
だから僕は、景色を眺めながら“長居”ができる。

僕の母(60代)は肌が敏感で、温泉によってはピリッと刺激を感じてしまうことがある。
それでも、みたまの湯では「ここのお湯は刺激が少なくて気持ちいい」とすんなり浸かれていた。
こういう感想は、実はすごく信頼できる。
なぜなら、敏感な人ほど“合わない温泉”には正直だからだ。

温泉は、泉質のデータだけで語り切れない。
肌触り、湯の匂い、体が温まるスピード、湯上がりの感覚。
そして、景色や風や空気と重なったときに、初めて「その温泉の価値」が立ち上がってくる。

みたまの湯は、そのすべてが噛み合っている。
絶景が、温泉の気持ちよさを増幅させ、温泉の心地よさが、景色の記憶を濃くする。
だからこそ僕は、季節を変えて、時間帯を変えて、何度もここへ戻ってきてしまう。

もしあなたが、
「景色で裏切られない温泉に行きたい」
「日帰りでも、旅の余韻が残る場所がいい」
そう思っているなら——みたまの湯は、かなり高い確率で期待に応えてくれるはずだ。

そして可能なら、ぜひ夕方前に訪れてほしい。
湯船の中で、空の色が変わり、街に灯りがともり、
景色が夜へ受け渡されていくのを見届けたとき、きっとこう思うはずだ。

「また来よう」と。


ベストな訪問時間帯と混雑状況

何度も通ってわかったことがある。
温泉の満足度は、泉質や景色だけで決まらない。
「いつ行くか」——たったそれだけで、同じ場所が別の温泉みたいに感じられる。

みたまの湯は、甲府盆地を見下ろす高台にあるぶん、“景色の力”が強い。
だからこそ、空の色が変わる時間帯や、混雑の波に左右されやすい。
僕自身、季節を変え、曜日を変え、時間を変えて通ううちに、ようやく「ここはこの時間がいちばん美味しい」という感覚が体に染みついてきた。

ここからは、観光ガイドの無難な言い回しじゃなく、通い続けた人間の実感として、
みたまの湯のベストな訪問時間帯をお伝えします。


結論:いちばん空いていて狙い目なのは「平日14:00〜16:00」

まず、混雑を避けたい人にとっての最適解はこれ。
平日の午後2時〜4時が、体感としていちばん空いています。

理由はシンプルで、この時間帯は利用者の層がいったん落ち着くから。
午前〜昼にかけての“日帰り観光組”が一段落し、夕景狙いの人たちが到着する前の、ちょうど谷間になる。

特に火曜日と水曜日は、比較的ゆったり過ごせることが多い印象です。
タイミングが合うと、露天風呂をほぼ独り占めできることもある。
湯船の縁に肘をついて、景色の端から端までゆっくり視線を滑らせる——そんな贅沢が、現実になる時間帯だ。

「混雑が苦手」「静かに温泉に浸かりたい」「景色を落ち着いて味わいたい」
そんな人は、まずこの時間を狙ってほしい。


避けたほうがいい時間:土日祝の11:00〜14:00(混雑ピーク)

逆に、できれば避けたいのが土日祝の午前11時〜午後2時
地元の方と観光客が重なり、館内の密度が一気に上がる時間帯です。

僕も一度、日曜日の正午ごろに訪れて、駐車場待ちをした経験がある。
温泉に入る前に気持ちが消耗してしまうと、せっかくの景色もどこか“急いで見るもの”になってしまう。
みたまの湯の魅力は、景色を急がず味わえることにあるから、ここでつまずくのはもったいない。

もしこの時間帯しか行けないなら、到着を少し早めるか、逆に午後2時以降へずらすだけで体験がかなり変わります。


おすすめは夕方〜夜:景色が“物語”になる時間帯

そして、みたまの湯を「みたまの湯たらしめている」のは、やっぱり夕方から夜にかけての時間帯だと思う。

夕暮れの景色は、本当に素晴らしい。
湯に浸かったまま、空の色が変わっていくのを眺める。
オレンジが深まり、紫が混じり、やがて藍色へ。
その間、甲府盆地の灯りがひとつずつ点っていく。

この「移ろい」を見届けられるかどうかで、旅の余韻はまるで違う。
景色は、ただ“きれい”なのではなく、時間を連れてくる
忙しい日常では取りこぼしてしまう速度で、世界が変わっていくのを、湯船の中で受け取れる。

さらにうれしいのが、夜7時以降は比較的空いてくること。
昼間とはまったく違う趣の夜景が、湯気越しに広がる。
宝石を散りばめたような光の海を眺めながらの入浴は、言葉より先に体が「来てよかった」と答える。


季節で選ぶなら「秋〜冬」が最強。空気の透明度が違う

季節のおすすめは、迷わず秋から冬
この時期は空気が澄み、視界が伸びる。
つまり、みたまの湯の“主役”である景色が、いちばん研ぎ澄まされる季節だ。

天気の良い日には富士山がくっきり見えることも多く、盆地の輪郭が驚くほどはっきり浮かび上がる。
同じ露天風呂でも、夏より冬のほうが「遠くまで見える」。
これが、絶景温泉における季節選びの重要なポイントです。

真冬の露天風呂は寒そうに思えるかもしれない。
でも実際は、その寒さがあるからこそ、湯の温かさが幸福として伝わってくる
冷たい空気が頬を撫で、湯が体の芯へ沁みていく。
冷たさと温かさのコントラストが、心地よさを何倍にもしてくれる。


僕のおすすめモデルコース:一番おいしい“みたまの湯の食べ方”

もし時間が取れるなら、僕はこんな入り方をすすめたい。

  • 15:30〜16:00頃に到着(混雑の谷間で入館がスムーズ)
  • 夕景〜夜景の移ろいを露天風呂でじっくり味わう
  • 19:00以降の落ち着いた時間にもう一度ゆっくり浸かる

これができると、みたまの湯は「日帰り温泉」ではなく、
ひとつの旅の記憶として残ると思う。

同じ場所でも、時間を選べば体験は変わる。
せっかく行くなら、いちばん美味しい時間に。
みたまの湯は、その価値がはっきり返ってくる温泉です。

2月の露天風呂は、「生き返る」という言葉が似合う

2月、一年でいちばん寒さが身に染みる季節だ。

脱衣所で服を脱ぎ、
素肌のまま外気に触れた瞬間、思わず肩をすくめる。
冬の山の空気は容赦がなく、
「早く湯に入りたい」という本能的な焦りが体を支配する。

でも、それは本当に一瞬だけだった。

湯船に足先を入れた瞬間、
冷え切っていた体の奥で、何かが静かにほどけていくのがわかる。
表面からではなく、芯からだ。

じわり、じわりと、
温かさが血流に乗って広がり、
凍りついていた感覚が、ゆっくりと戻ってくる。

「……あぁ」

誰に聞かせるでもない声が、自然と漏れた。
これは感想というより、体が勝手に出した反応に近い。

2月の露天風呂は、
温かさが、はっきりと“幸福”として伝わってくる

春や秋の温泉が「気持ちいい」ものだとしたら、
真冬の温泉は「助けられる」ものだと思う。
寒さがあるからこそ、温もりの価値が際立つ。
このコントラストを、体は本能的に理解している。

みたまの湯の泉質は、アルカリ性単純温泉。
刺激が少なく、無色透明で、肌に触れた瞬間の当たりがとてもやわらかい。
冬場にありがちな、ピリつく感じや、湯あたりの重さがほとんどない。

実際、何度も冬に通って感じるのは、
この湯は長く浸かっていられるということだ。
寒さから逃げるように入るのではなく、
景色を眺めながら、呼吸を整えながら、
体が「もう大丈夫」と言うまで、ゆっくりと時間を預けられる。

アルカリ性単純温泉は、派手な効能を前面に出す湯ではない。
でも、その分だけ、体に無理をさせない。
冬でこわばった筋肉や、無意識に入っていた力を、
ひとつひとつ、ほどいていくような感覚がある。

湯気の向こうには、冷たい冬の空気。
頬に当たる風はひんやりしているのに、
湯の中では、体の中心がじんわりと温かい。
この冷と温の境界線こそが、冬の露天風呂の醍醐味だ。

しばらくすると、不思議なことに、
寒さそのものが心地よく感じられてくる。
それは、体がちゃんと温まり、
外の冷たさを受け止める余裕ができた証拠だ。

「生き返る」という言葉は、少し大げさに聞こえるかもしれない。
でも、2月のみたまの湯で湯船に浸かっていると、
この表現以上にしっくりくる言葉が、なかなか見つからない。

寒さに縮こまっていた体が伸び、
忙しさで固まっていた思考が緩み、
「ちゃんと息をしている自分」に戻っていく。

2月の露天風呂は、ただ体を温める場所じゃない。
人を、元の状態に戻してくれる場所だと、僕は思っている。

もし冬の旅先で、
「今日は本当に寒いな」と感じたなら、
それは、露天風呂に入る最高の合図かもしれない。

少なくとも、みたまの湯では。
この季節にしか味わえない“生き返る感覚”が、
ちゃんと、待っている。


冬の景色は、余計なものがなくて美しい

湯気の向こうに広がる景色は、
夏よりも、秋よりも、ずっと輪郭がはっきりしていた。

理由は、単純だ。
空気が、圧倒的に澄んでいる。

冬の高台は、余分な湿気や霞が少ない。
だから視界が伸びる。
遠くの山の稜線まで、まるで線を引いたかのようにくっきりと浮かび上がる。

甲府盆地の街並みは、
まるで掌の上に置かれた精巧な模型のようだった。
建物の配置、道路の流れ、街の呼吸までが、一望のもとに収まっている。

何も咲いていない。
木々は葉を落とし、畑は眠り、
景色は驚くほど静かだ。

でも、だからこそいい。

春や夏の景色は、色彩が多く、生命感に満ちている。
それはそれで美しい。
けれど冬の景色には、余計な装飾が一切ない

何も主張していない。
「見てほしい」と語りかけてこない。
ただ、そこに在る。

だからこそ、景色そのものが、まっすぐ胸に入ってくる。
目で見るというより、
静かに受け取る、という感覚に近い。

長く温泉を巡っていると、
「派手な景色」と「記憶に残る景色」は、必ずしも一致しないと気づく。
冬のみたまの湯から見る景色は、まさに後者だ。

視界いっぱいに広がっているのに、
不思議と、心を騒がせない。
むしろ、頭の中を整理してくれる。

湯に浸かりながら、
ただ黙って遠くを眺めていると、
普段は意識しない呼吸の深さに気づく。
「ああ、いま、落ち着いているな」と、後からわかる。

冬の景色は、
一瞬で感動を奪うタイプじゃない。
けれど、じわじわと効いてくる。

余計なものがないから、
自分の内側にある感情まで、はっきり見えてくる。

もし、最近少し考え事が多いなら。
賑やかな観光地よりも、
こういう“引き算の景色”に身を置いてみるのも悪くない。

みたまの湯の冬景色は、
何も語らない。
でも、その沈黙が、いちばん雄弁だった。


夕暮れ、寒さと温もりがいちばん美しく交わる時間

湯に浸かったまま、
空の色がゆっくりと変わっていくのを眺める。

冬の夕暮れは、驚くほど足が早い。
さっきまで淡いオレンジだった空は、
気づけば深みを増し、紫を経て、静かな藍色へと沈んでいく。

この変化を、
時計ではなく、体で感じられるのが、露天風呂のいいところだ。
湯船に身を預け、何もせず、ただ空を見上げているだけで、
時間が「流れるもの」ではなく、「移ろうもの」だと教えられる。

やがて、その藍色の下で、
甲府盆地の灯りが、ひとつ、またひとつと点き始める。
昼間は地形として見えていた街が、
夜になるにつれて、生活の気配を取り戻していく。

遠くから見る街の灯りは、騒がしくない。
音も、匂いも届かないぶん、
ただ静かな光として、視界に溶け込んでくる。
その様子は、まるで星座が地上に降りてきたかのようだ。

冷たい空気。
そして、温かい湯。

この冷と温のコントラストこそが、
2月のみたまの湯を、特別な場所にしている。

頬に触れる空気は、きりっと冷たいのに、
湯の中では、体の芯がじんわりとほどけていく。
寒さから逃げているはずなのに、
いつの間にか、その寒さすら心地よく感じている自分がいる。

何度も温泉を巡ってきて思うのは、
本当に印象に残る時間帯は、昼でも夜でもなく、その“あいだ”だということ。
みたまの湯における夕暮れは、まさにその象徴だ。

昼の景色を知っているから、夜景が際立つ。
夜が来るとわかっているから、夕焼けが名残惜しい。
この連続した時間を体験できるかどうかで、
その日の温泉体験の深さは、大きく変わる。

「夜が一番よかった」

クチコミで何度も目にしてきた言葉だ。
正直、最初は少しだけ疑っていた。
どこの温泉でも、夜景はそれなりにきれいだからだ。

でも、実際にこの時間を湯船の中で過ごしてみて、
ようやく、その言葉の意味が腑に落ちた。

ここで言う「夜がいい」というのは、
単に暗くなった後の景色が美しい、という話じゃない。
夕暮れから夜へ移り変わる、その一連の時間ごと味わえるからこそ、
心に深く残るのだ。

体が温まり、
視界が闇に包まれ、
思考がゆっくり静まっていく。

その流れの中で、
「今日一日、悪くなかったな」と、
自然に思えてくる。

みたまの湯の夕暮れは、
感動を押し付けてこない。
ただ、気づいたときには、
しっかりと心の奥に残っている。

もし訪れるなら、
どうか時間に余裕を持って。
この寒さと温もりがいちばん美しく交わる瞬間を、
湯船の中から、最後まで見届けてほしい。

きっと帰り道、
何度も思い返すことになるはずだから。


2月にここを選んで、正解だったと思えた理由

「寒い季節にわざわざ出かけるなんて、物好きだね」
そんなふうに言われたことがある。

たしかに2月の旅は、楽じゃない。
朝、車に乗り込むだけで指先がかじかむし、外へ出た瞬間に頬が痛い。
目的地に着くまでの道のりだって、夏より慎重になる。
路面凍結の心配、日没の早さ、体温を奪う風——冬は、旅のハードルをいくつも用意してくる。

でも、僕は思う。
冬の旅は、“不便”があるからこそ、体験が濃くなると。

みたまの湯に関して言えば、その濃さが、はっきりと報われる。
2月にここを選んで「正解だった」と感じた理由は、きれいごとじゃなく、ちゃんと体感として積み上がっている。

  • 空気が澄み、景色がいちばん美しい
    冬は湿気や霞が少なく、視界が伸びる。
    高台から見下ろす甲府盆地の輪郭がくっきり立ち上がり、遠くの山の稜線まで驚くほどシャープに見える。
    同じ場所でも、夏とは“見える距離”が違う。これは、何度も季節を変えて訪れてこそ実感できたことだ。
  • 寒さがあるから、湯のありがたみが段違い
    温泉は、季節によって価値が変わる。
    春や秋は「気持ちいい」。夏は「さっぱりする」。
    でも2月の温泉は、もっと直接的だ。「助けられる」
    体の芯まで冷えた状態で湯に触れた瞬間、温かさが幸福として伝わってくる。
    これは、寒さが強いほど強烈になる“冬だけのご褒美”だと思う。
  • 夏より人が少なく、静かに過ごせる
    旅の満足度を左右するのは、景色の質だけじゃない。
    その景色をどういう気持ちで眺められるかも大きい。
    冬はハイシーズンに比べて人が分散しやすく、露天風呂で景色を“急いで消費する”ような感じになりにくい。
    静けさの中で、景色がゆっくり心に沈んでいく——みたまの湯は、その時間がいちばん似合う。

寒い季節に旅をするのは、少し勇気がいる。
でも、その一歩を踏み出した人だけが味わえる時間が、ここにはあった。

空気が冷たいから、景色が澄む。
体が冷えるから、湯が沁みる。
日が短いから、夕暮れの移ろいがいっそう愛おしくなる。

冬は、何かを“足す”季節じゃない。
余計なものが削ぎ落とされて、本当に大事な心地よさだけが残る季節だ。

みたまの湯は、その冬の本質と相性がいい。
2月にここを選んだことを、湯船の中で何度も思い出す。
「寒い日に来てよかった」と。


まとめ|寒いからこそ、行く価値がある場所

みはらしの丘 みたまの湯は、
「暖かくなったら行こう」と思う場所じゃない。

寒い今だからこそ、行ってほしい。

凍えた手でハンドルを握り、
白い息を吐きながら坂を登り、
湯船で深く息をつく。

その一連の流れすべてが、
この旅の記憶になる。

みたまの湯は、ただ「景色がいい温泉」では終わらない。
絶景と良質な温泉、そして過ごしやすさまで設計された施設が揃った、
いわば“総合力で勝つ”温泉施設だ。

甲府盆地を一望できる露天風呂は、何度訪れても感動する。
これは誇張じゃない。
僕は3年間、季節を変え、時間帯を変え、何度も通い続けているけれど、
湯船の縁に肘をついて景色を眺めた瞬間、毎回ちゃんと「来てよかった」が更新される。

「絶景」と書かれたパンフレットは世の中に山ほどある。
でも、本当に心が動く景色には共通点がある。
それは、見る側が“頑張らなくていい”ことだ。
背伸びして探す必要がない。角度を工夫しなくても視界に入ってくる。
みたまの湯の露天風呂は、まさにそのタイプで、景色が勝手に胸に入ってくる

そしてもうひとつ、この場所が強い理由は、温泉としての土台がしっかりしていること。
泉質はアルカリ性単純温泉で、刺激が少なく、肌あたりがやわらかい。
「温泉って熱くてきつい」「匂いが強いのは苦手」——そんな人でも入りやすいタイプだ。
実際、肌が敏感な人ほど“合う・合わない”に正直だけど、みたまの湯はそのハードルを低くしてくれる。

僕が3年間通い続けていちばん強く感じるのは、
ここが「非日常を味わえる場所」だということだ。
派手な演出があるわけじゃない。
でも、坂道を登り、街の音が薄れ、湯気の向こうに盆地が広がった瞬間、
頭の中のノイズがすっと静まる。

都会の喧騒から離れ、美しい景色と温かいお湯に包まれていると、自然と心が落ち着く。
これって、意外と簡単じゃない。
スマホを見れば情報が流れ込み、日常の課題が次々と思い出される時代に、
「何も考えない時間」を持つのは、ちょっとした技術みたいなものだから。

みたまの湯は、その技術を“環境”で助けてくれる。
景色が広いと、呼吸が深くなる。
湯がやわらかいと、肩の力が抜ける。
そして、居心地のいい施設は「もう少しだけ、ここにいよう」と思わせてくれる。

僕はこれまで、いろんなシーンでここを訪れてきた。
仕事で疲れたとき。気分転換が必要なとき。大切な人とゆっくり過ごしたいとき。
そのどれもに共通しているのは、みたまの湯が“気分の目的地”になってくれるということだ。

「疲れを癒したい」「頭を切り替えたい」「ちゃんと休みたい」
そういう、目には見えない目的のほうが、人は本当は多い。
みたまの湯は、景色と湯と静けさで、その目的に正面から応えてくる。

そして面白いのは、通うほどに新鮮な発見があることだ。
同じ露天風呂でも、空気が澄む日、風が強い日、夕焼けが濃い日、夜景が冴える日で、体験が変わる。
季節が変われば、山の色も、街の灯りの映え方も変わる。
つまり、ここは「一度行って終わり」じゃなく、人生の中で何度でも戻れる温泉なんだと思う。

もしあなたが今、
「どこかへ行きたいけど、遠くまで飛ぶ気力はない」
「日帰りで、ちゃんと旅をした気分になりたい」
そんな気持ちを抱えているなら。

みたまの湯は、かなり高い確率でその期待に応えてくれる。
絶景と良質な温泉、そして“過ごしやすさ”という総合力。
そのすべてが揃っているからこそ、僕は3年間、何度でもここへ戻ってきた。

そしてきっと、あなたも一度体験したら、こう思うはずだ。
「また来よう」と。


※ 冬季は路面凍結の可能性があります。
※ 営業時間・料金・天候状況は事前に公式情報をご確認ください。

ホテル・温泉レビュー
スポンサーリンク
yuumaをフォローする
タイトルとURLをコピーしました